最近目にする「ナラティブ」という言葉
最近ネットで「ナラティブ」という言葉を目にしませんか?
基本的には「物語」という意味のようだが。正直いまいちピンとこないことが多い。
いろんな意味で使われてない?
なんか、いろんな人がいろんな意味で「ナラティブ」という言葉を使っているような気がする。どうなんだろう、気になる。
分類してみたい
ということで、「ナラティブ」という言葉の使われ方を自分なりにこうなんじゃないかな〜と分類してみようと思う。
(元々の英語の意味がどう?というよりも、カタカナで「ナラティブ」と書く時に何を含意していることが多いか。という主観的なまとめです)
1. 体験者の中に作られる物語、主観的な語り
ゲーム制作の文脈でよく使われる。何かを体験した結果、体験者の中に作られた物語。という意味
例えば、 RPG ゲームなどで、物語を構成する様々な要素をプレイヤー自身が時系列に体験していって、それぞれのプレイヤーがそれぞれの物語を体験するように作られていることがある。このプレイヤーの中に作られる「物語」のことを「ナラティブ」と言っている
ストーリー、自由度の偏りはナラティブを生まない
https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/612286.html
ゲーム制作だけではなく、医療の分野で「ナラティブアプローチ」という言葉があり、この「ナラティブ」も「患者の客観的な症状ではなく、患者の主観的な体験」にフォーカスするアプローチという意味で捉えると、この意味と近い使われ方のような気がする。(自信はない)
それに対して、ナラティブ・アプローチにおいて患者の言葉に耳を傾けるのは、「患者の言葉から、患者の解釈を理解するため」です。物語は患者の解釈と捉えるとわかりやすいでしょう。
https://jinjibu.jp/keyword/detl/929/
また、それを形容動詞的に使うこともある。「ナラティブな〇〇」「ナラティブ〇〇」「この〇〇はナラティブな感じがする」のように使う。「物語に主観的に没頭できる〇〇」のような意味
日本で「ナラティブなゲーム」と言われているのは、「ダークソウル」と「ワンダと巨像」の2本が挙げられた。
https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/612286.html
非常にナラティブな作品だった。見ているこちらにも迫り来る苦しみにかなり胸が痛くなったが、作品を作りながらだんだんとキリアンとカンパニーが苦しみから解放され、最期には希望の光をなんとかつかんだのだな、ということが感じられた。観ているこちらも救われる。
https://danseparis.exblog.jp/24573327/
2. ある事象に、恣意的に意味づけするための物語
(追記)安全保障や防衛の研究では、一般的に使われる用語のようです:
安全保障や防衛分野におけるナラティブは、「政策上の目標に対して心理及び認知領域における正当性を付与するように、意図的に作成された物語」である。対象となるオーディエンスを誘導する目的を有し、現在の状況、将来の望ましい状況及びそこへの到達方法を含む。既存の防衛力と組み合わせることで相乗効果を発揮する。
安全保障や防衛におけるナラティブ
(追記ここまで)
特に政治や軍事の文脈で使われる気がする。事件とかに恣意的に意味づけをするような時に使われる物語。「この事件は〇〇の〇〇のような意図によって引き起こされたものだ」みたいな感じの物語。これは「主観的な物語」とか「体験者の中にある物語」という含意はない気がする。政治や軍事の用語なのだろうか
偽情報と違ってナラティブの拡散に対してはファクトチェックが困難だとの指摘に、大きく首肯。
https://twitter.com/hiranotakasi/status/1507228218591522832
これはテクニカルな制度上の議論というより、国内外の反対派が足を引っ張るために人工的に作り出したナラティブで、蛇足です。反対するなら他の理屈がある。
https://twitter.com/show_murano/status/1505435995344363520
3. 主観的な体験や思ったことを口語で時系列に書く感じの文章の様式
たまに「もっとナラティブに文章を書いて」と言われることがある。その場合、僕は「以前に〇〇なことがあった。その経験は僕にとって〇〇であった。これを人に伝えたいと思った。なのでこの提案をした」みたいな感じで書くことだと思っている。違うかも
これは英語の Narrative Essay のように書いてというような意味から来ているのだろうか
4. ある文脈で誰かと共有する物語
何か特定の文脈で、誰かと誰かが共有する物語全般。「主観的な物語」というよりは「発信者と受信者の共有する物語」という意味合いが強い気がする。マーケティングやブランディングの文脈で使われることが多く共有相手は顧客であることが多い気がする。
アップルの「Think Different」やナイキの「Just Do It」のように、顧客を鼓舞し、顧客の課題解決を手助けするようなナラティブは、強力な差別化要因となる。しかし、企業が語るナラティブのほとんどが自社中心のスローガンに留まり、そのような役割を果たせていない。コーポレート・ナラティブは、本来どうあるべきか。
https://www.dhbr.net/articles/-/7810
コアなイメージは?
ここまでの分類を踏まえるとカタカナ語ナラティブのコアイメージは以下のようなことなのではないだろうかと思う。
- 物語、語り
- 主観的、恣意的
- 情緒的、感情的、共感的
- 口語的、語られる対象であることの強調
最後に
やっぱり「ナラティブ」という言葉は「物語」とか「物語的」という意味ではあるけど、そのイメージを元に様々な文脈でそれぞれ結構違う含意を持って使われている気がしますね。
皆さんは「ナラティブ」をどう理解してますか?もし良かったら教えてください!